「日本にも自殺の問題とか子どもの貧困の問題とかあるのに、なんでわざわざカンボジアのよくわかない子どものために募金なんてしないといけないの?」
僕が大学生の頃、カンボジアの小学校建設資金を集めるために街頭募金をしていた時に言われた言葉です。
「日本も大変なのになんで?」と同じような言葉をかけられたことは数えきれません。「質問」ではなく、「冷やかし」的な言われるとこちらが不快感を感じるトーンであることがほとんどです。僕なりの答えとして、校舎がないために発生している問題や校舎ができると改善が見込まれる効果などを説明していました。
でも、それは質問の本質ではありません。「そもそも日本国内にも問題が山積みなのに、見ず知らずの国に対して支援なんてする必要があるの?」というのが質問の本質でしょう。
今回は僕個人が考える理由3つをご紹介します。
国際協力に取り組む個人的な理由3つ
最後に、僕の個人的な理由をお話しします。正直、僕は日本の国益のために国際協力に取り組んでいるのでも、世界の紛争からの影響から自分を守るために国際協力をしているのではありません。これまでにお話した4つの大義らしい理由は後付けです。
「違い」を知りたいという好奇心
僕は旅が好きで、今まで23か国を訪問しました。旅の中で感じる人種、文化、言語、食べ物などの「違い」が好きなのです。特に発展途上国では先進国を旅しているよりも「違い」が大きくて、刺激が強くて、自分の世界を広げてくれる感覚が好きなのです。(「違い」に圧倒されることも多々ありますが…)
だから僕はもっと発展途上国のことを知りたいんです。その中で、困っている人を見つけて、自分が役に立てることがあればしたいです。自分の知らない世界への好奇心と、人の役に立ちたい気持ちが混ざり合って辿り着いたのが、たまたま国際協力でした。
だから僕は日本の教育問題とカンボジアの教育問題を比較して優先順位が高い方から取り組んでいるわけではなく、そもそも比較すらしていないのです。
(途上国で貧困に苦しんでいる方の生活を知って楽しみたいというような好奇心ではありません。旅の中で見つけるような違いに対して好奇心を持っているということです。)
人にはそれぞれ役割がある
僕は日本よりも発展途上国に偶然にも興味を持ちました。
自分が好きなこと、興味を持ったことで、少しでも人の役に立てばいいと僕は想うのです。
日本の課題に興味を持った人は日本で活動を、ケニアに興味を持った人はケニアで活動をすればいい。一人で全世界の全ての問題に取り組むことはできません。日本国内の問題に絞ったって不可能です。人にはそれぞれの役割があるのです。自分の役割の中で、誰かの役に立てば十分に尊いことだと思います。
「日本にも困っている人がいるのだから~」と悩む時間より、自分が課題に感じることに注力する方が有意義です。
やらない善より、やる偽善
これは僕の経験からの(結構な偏見を持った)意見ですが、「日本にも困っている人がいるのに~」質問をしてくる方には大きく2種類のパターンがあると感じています。
1つ目は国際協力の活動や個人の意義を前向きに知ろうとしてくれているパターン。こちらが街頭募金などで寄付をお願いしている場合、当然のごとく相手にも信頼に足る活動どうかを見極める権利があります。そういう方に納得していただけると寄付につながりますし、こちらも真摯に答えるべきパターンです。
2つ目は、ボランティアとか国際協力を大して知りもしないのに見下しているパターン。このような方にいくら国際協力の意義や活動の意義を説明しても無駄なのです。相手は国際協力をしている人を批判するためだけに、「日本にも困っている人がいるのに~」質問をしてくるのですから。
でも、このような方ほど、日本の困っている人どころか周囲の人間にさえ優しく接することができていないのだろうと、僕は感じました。そんな人たちには放っておいて、自分にできることをしましょう。やらない善より、やる偽善。僕は偽善だと言われても、やった方がいいと信じています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
国際協力にこれから関わろうと悩んでいる方、関わっている中で悩んでいる方、国際協力に疑問を持っている方が少しでも国際協力の意義を考えるきっかけとなればうれしいです。理由も人の数だけ答えがあってよいですし、皆さんなりの答えを大切にしてなさってください。
最後までご覧いただきありがとうございました。今日もあなたにとってよい一日にでありますように。
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