" /> ブラジル卓球の歴史と発展 / 日系移住者の関係

ブラジル卓球の歴史と発展 / 日系移住者の関係

はじめに

世界卓球2025で大活躍のカルデラノ選手の出身国、ブラジルは、南米最大の国として多様な文化と民族が共存する中で、卓球という競技も独自の進化を遂げてきました。

特に注目すべきは、日系移住者が果たしてきた役割です。彼らは戦後、スポーツを通じた地域社会づくりに貢献し、卓球の普及と強化に大きな影響を与えました。本記事では、ブラジルの卓球の導入から発展の歴史、日系選手の活躍、そして現在までの様子を紹介します。

ブラジルにおける卓球の導入と発展の概要

UnsplashAgustin Diaz Gargiuloが撮影した写真

ブラジルの卓球競技は、20世紀初頭にその端緒を見ることができます。イギリス人観光客が 1905年頃にブラジルで卓球を紹介 したのが始まりとされ、1912年 にはサンパウロで初の卓球大会(団体戦)が開催されました。cbtm.org.b

以降、徐々に発展を続け、第二次世界大戦中の1942年にブラジル国内で卓球ルールの翻訳・統一が図られ、全国的な競技として公式に認知されますcbtm.org.br。戦後の1947年にはブラジル代表が第3回南米選手権に初参加し、国際舞台への一歩を踏み出しましたcbtm.org.br。その後も交流を重ね、1979年にはリオデジャネイロでブラジル卓球連盟(CBTM)が設立され、卓球は独立した競技団体の下で全国的な普及と強化が進められることになりますcbtm.org.br

天才ビリーバ選手の活躍

ブラジル卓球界の黎明期には、伝説的な選手もいました。日本の荻村伊智朗・田中利明両選手がブラジル遠征を行った際、当時13歳のビリーバ選手に敗れたというエピソードですworld-tt.com。1961年の世界選手権北京大会では、第1シードの容国団を破りました。https://pingpong-news.net/2017/05/30/biriba

日系移民のブラジル卓球の関係

ブラジルの卓球界において、日系移民の存在は歴史的にも現代でも極めて大きな影響力を持っています。その理由は、ブラジルが世界最大の日系人社会を有する国であり(約200万人超が在住)、彼らが卓球普及の中心的役割を果たしてきたためです。日本からの移民は20世紀初頭からブラジルに渡り、コミュニティを形成する中で日本の娯楽・スポーツである卓球も持ち込まれました。戦後には移民2世・3世が増えると共に、日系人経営のスポーツクラブや地域対抗の卓球大会が各地で活発化し、卓球がコミュニティの人気スポーツとして定着しました。

参考動画:

特にサンパウロ州には日系人が集住しており、サンパウロがブラジル卓球の中心地となった背景には日系社会の存在がありますworld-tt.comworld-tt.com

ハルオ・ミティダ氏の普及活動

1950年代、日系移民の中でもスポーツ振興に熱心だったハルオ・ミティダ氏が全国各地の移住地を巡り、卓球台やラケットの提供、指導者育成を通じて競技を広めました。1951年、ミティダ氏は日系クラブを中心とした全国大会「Campeonato Brasileiro Intercolonial de Tênis de Mesa(ブラジル移民卓球選手権)」を創設。これは日系人社会を中心とした交流大会としてスタートしましたが、やがて州を越えて他のコミュニティにも広がっていきました。こうした基盤の上に、地域クラブや卓球道場が形成され、ブラジルの卓球文化の母体が育まれたのです(出典:https://www.cbtm.org.br/noticia/detalhe/92071/japoneses-e-tenis-de-mesa-um-casamento-de-muitas-decadas-cada-vez-mais-consolidado-no-esporte-brasileiro#:~:text=o%20in%C3%ADcio%20oficial%20da%20chegada,Mas%20voc%C3%AA%20sabe%20os%20motivos)。

ブラジル代表の国際大会成績とその変遷

ブラジル卓球代表は、長年にわたりパンアメリカン競技大会やラテンアメリカ選手権など地域大会では強豪として活躍してきました。男子ではクラウディオ・カノウヒューゴ・オヤマら日系人選手が1980~2000年代にかけてパンアメリカン大会で複数の金メダルを獲得しています。

クラウディオ・カノウ

パナアメリカン大会で男子団体・ダブルスを中心に活躍し、1983~1995年の間に7金3銀2銅の計12個のメダルを獲得するなど大きな成功を収めましたolympedia.org。世界選手権でも1987年大会シングルスでベスト16に進出し、前述の1961年のビリーバ以来のブラジル史上最高成績に並ぶ快挙を達成していますen.wikipedia.org。オートバイ事故で30歳の若さで亡くなり、生涯を終えました。

参考記事:https://happy-development.com/impactando-vidas-%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88%EF%BC%89/

ヒューゴ・オヤマ

長期にわたり活躍し、1987~2011年の6大会で男子シングル・ダブルス・団体を合わせた15個のメダル(うち金10個)をパンアメリカン大会で獲得ittf.com。ホヤマはパナ大会歴代最多金メダル保持者となり、6回連続で五輪にも出場しました。1996年のアトランタ五輪ではシングルスベスト16強にブラジル選手として初めて進出しました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%82%B4

参考動画(2010 UAE World Team Cup):

近年の日系選手/カルデラノ等の若手の台頭

2000年代でもツボイ選手を中心に日系選手の活躍が続きます。

グスターボ・ツボイ

サンパウロ州出身。12歳でマルコス・ヤマダ氏指導下の強豪クラブADRイタイム・ケイコ(サンパウロ)に移籍して育成された逸材ですcbtm.org.br。その後も研鑽を積み、フランス(ヴィルヌーヴ)やドイツ(ベルクノイシュタット)など欧州クラブでプロ選手として活躍しましたcbtm.org.brcbtm.org.br

オリンピック4大会連続出場(2008〜2020)、パンアメリカン大会では金メダルを複数回獲得。(北京2008、ロンドン2012、リオ2016、東京2020)しており、個人では東京五輪でベスト16入りを果たしました。特に東京五輪では、ナイジェリアのクワオヤマドリ・アルナ選手(当時世界15位)を4–2で破るなど健闘し、ブラジル人男子として五輪シングルス16強入りはオヤマ(1996年)・カルデラノ(2016年)に次ぐ快挙となりましたmakingofchamps.com(出典:Gustavo Tsuboi – Wikipedia)。なお、2021年には丹羽選手も破ったことがあります。

参考記事:https://rallys.online/forplayers/player/gustavo-tsuboi/

カルデラノの台頭

しかし世界大会(オリンピックや世界選手権)のシングルスでは、カルデラノが台頭するまでベスト32やベスト16進出が限界という時代が続きました。

この流れを変えたのがカルデラノの存在です。彼は2021年東京五輪で男子シングルスベスト8に進出し、ブラジル男子史上初の五輪ベスト8入りを果たしましたrallys.online。さらに2024年パリ五輪では準決勝まで進んで4位入賞し、五輪メダルまであと一歩と迫っていますrallys.online

世界選手権でも2021年大会でベスト8(史上初の南米勢ベスト8)に入りrallys.online、2025年大会では決勝進出し、準優勝という快挙を成し遂げましたworld-tt.com。南米出身の卓球選手がメダルを獲得したのは約100年の世界卓球の歴史で初めてです。これらの成果により、ブラジル代表の国際大会成績は飛躍的に向上しつつあります。

下記記事には今回の世界卓球2025の結果をカルデラノ選手の試合動画も含めてまとめています。

ブルーナ・タカハシ等の女子日系選手

また、女子では前述のブールナ・タカハシが頭角を現し、世界ランキングトップ20入りするなど健闘しています(2023年世界選手権シングルスベスト16入り)。団体戦でも、2019年の女子ワールドカップ団体戦でブラジル女子チームがベスト8に入るなど、徐々に結果を残し始めています。今回の2025年世界選手権でもシングルスでベスト16に入りました。

近年の女子代表も、東京五輪団体戦に出場したメンバー3人が全員日系(ブルーナ・タカハシ、ジェシカ・ヤマダ、カロリネ・クマハラ)という構成でしたworld-tt.com。このようにブラジル卓球界における日系人の存在感は極めて大きいのです。

このように、近年のブラジル代表は個人・団体ともに国際舞台での成績が向上傾向にあります。その原動力はカルデラノを筆頭とする新世代の活躍であり、彼らの刺激を受けた若手が続々と台頭していることも明るい材料です。今後もブラジル代表の成績推移に注目が集まっており、南米から世界のトップに挑む存在として期待されています。

+α パラ卓球の発展

パラ卓球でもブラジルは着実な成果を上げてきました。

リオ2016パラリンピックでは女子クラス10でブルーナ・アレクサンドレが銅メダル、女子クラス6–10(混合チーム)ではアレクサンドレとダニエレ・ラウエンのペアが銅メダルを獲得するなど計4個のメダルを獲得しましたittf.com

続く東京2020パラリンピックではブルーナ・アレクサンドレが女子シングルス・クラス10で銀メダルを獲得し、同時に2024年パリ五輪にも初のパラ/五輪両出場を果たしただけではなく、女子シングルス・クラス10で銅メダルを獲得しました。paralympic.orghttps://rallys.online/forplayers/player/alexandre-bruna/

参考動画:

こうしたパラ選手の国際的成果は、障害者スポーツ界での卓球競技認知向上と次世代選手の育成にも寄与しています。

まとめ

ブラジルにおける卓球の歴史は、日系移住者の尽力によって形成された文化的遺産です。彼らの努力により競技が定着し、現在ではカルデラノやツボイのような世界的選手を輩出する競技国へと成長しました。ジュニア・パラ卓球分野でも成果が現れつつあり、今後も国際舞台での活躍が期待されます。地域格差や設備支援といった課題を乗り越え、ブラジル卓球界がさらに発展していく未来に注目が集まります。

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