「今まで旅行で行った中で、一番よかった場所はどこですか?」
私が「24か国を訪問した国がある」と会話に出すと、頻繁に聞かれる質問です。
でも、私はいつも悩みます。「一番なんて決めれない」と。旅を「よい経験」にしてくれるのは、観光地だけではなく、食事だったり、人との出会いだったりします。ということで、「『ジャンル別』に一番よかった国」をご紹介していきます。
最も印象に残っている国 1位 フィジー
フィジーが最も印象に残っているのは、旅行でも留学でもなく、JICA海外協力隊として現地に深く入り込めたからです。
フィジーの現地語である「フィジー語」と「フィジーヒンディー語」を語学学校で1週間ずつ学べたり、毎日のようにインドカレーを食べたり、時刻表もないバス停で30分以上待っていたり、結構な田舎でホームステイしたり、学校で卓球を指導したり、暮らし始めるために安い家具屋で家具を買い漁ったり、毎週日曜日にテニスしたり、待ち合わせで1時間30分くらい遅刻されたり、汗だくなのに停電+断水したり…フィジーで初めて経験したことはは山のようにありました。
楽しいことばかりではなかったが、青春の日々のように記憶に残っている国です。
遺跡の観光が楽しい国 1位 カンボジア
カンボジアは3回訪問しています。遺跡巡りが何より楽しかったです。
アンコールワットは言わずもがな、世界的に有名な世界遺産。アンコールワットで日の出を見るのも王道ルートです。
カンボジアで僕が最も好きだった遺跡はベンメリア遺跡。天空の城ラピュタのモデルなどと言われている場所だ。整備されたアンコールワットよりも、ジャングルの中の「遺跡」を探検しているような状態だ。カンボジアを訪れる遺跡好きであれば、ここは是非とも訪れてほしい。
食べ物が好きだった国 1位 タイ
これは完全に好みの問題です。私はタイ料理が好きで、日本でもよくタイ料理を食べに行くので、タイの優勝はタイに行く前から決まっていたのかもしれません。
タイ料理はおいしい食べ物の種類が多いです。ごはん、麺、肉、魚介、フルーツ。価格がリーズナブルなのも魅力である。
タイの暑くて湿気のある気候の中で食べる、グリーンカレーやトムヤンクンなどの辛めの料理は最高で、食べるのが止まりません。汗も止まりません。
街が素敵だった国 1位 スコットランド エディンバラ
スコットランドの首都エディンバラ。私は3か月ほどエディンバラに住んで語学学校に通っていました。
街の中心の丘の上にはエディンバラ城があり、13時を知らせる大砲の音が鳴り響く。歴史を感じさせるヨーロッパらしい建物が集合する旧市街。そして東京のど真ん中で育った僕でも全く不便さを感じないほど都会的な新市街。そんな古さと新しさを持つ素敵な街でありながら、自転車で行ける範囲に緑を感じる丘もあれば、海もある。私にとっては歴史と流行と自然がすべて詰まったような街に感じました。
建築が美しかった国 1位 スペイン サグラダ・ファミリア
世界的に有名な建築物、サグラダ・ファミリア。僕が最も建築物で感動した場所。
遠目から見た存在感。
間近から見る外壁など細かい装飾の美しさ。
内部の神秘的な森のような柱と神秘的なステンドグラス。
私はキリスト教徒でもないし、特定の宗教を深く信じているわけではないですが、「この場所なら神はいる」と思った記憶があります。
自然が美しかった国 1位 モロッコ サハラ砂漠
モロッコには10日間ひとりで滞在し、マラケシュ、メルズーガ、フェズ、シャウエンを巡りました。
サハラ砂漠に行くためにメルズーガという街にバスで10時間以上かけて移動し、サハラ砂漠ツアーに備える。ツアーと言っても、その回で参加したのは私だけでした。夕方、ガイドが引くラクダに乗って砂漠へ繰り出し、夕暮れを見る。空が見えるテント(のようなもの)に着き、タジン鍋で料理を作ってもらう。どこまでも砂漠の中で、満点の星空を眺めながら寝る。日の出前に起きて、砂漠から登る朝日を見て、ホテルがあるメルズーガに帰っていく。
自然と比べれば、自分なんて取るに足らない存在で人は自然の中で生きているのだと、人生で初めて感じました。そして世界には自分が知らない場所がたくさんあり、もっと世界を見てみたい。そんなことを感じさせてくれたのがサハラ砂漠でした。
負の遺産を学びたい国 1位 オランダ アンネ・フランクの家
負の遺産では、国内では太平洋戦争で原爆が投下された広島、長崎、戦場だった沖縄などは訪れたことがありました。海外でもポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所やカンボジアのトゥールスレン虐殺博物館も訪れたりしました。
本来は比べるものではないかもしれませんが、私の中で特に記憶に残っているのはオランダのアムステルダムにあるアンネ・フランクの家です。
隠れ家への引っ越し
ナチスによるユダヤ人迫害は更に進んでいきます。ユダヤ人は「ユダヤの星」を着けることが義務付けられ、ユダヤ人はみなオランダから出て行かなければいけない、という噂が流れました。1942年7月5日、マルゴットにナチス・ドイツの労働キャンプへの召集令状が届きました。両親はこの召集が労働のためだとは信じず、翌日から隠れることにしました。 隠れ家に移動し、潜伏するのです。
https://www.annefrank.org/en/anne-frank/who-was-anne-frank/japanese/
アンネたちが約2年間暮らした空間に実際に入ることができる状態になっています。ここで人が殺されたわけでもなし、残虐な展示があるわけでもありません。それなのに、心がとても重くなっった記憶があります。
想像していたより、ずっとずっと狭い空間でした。そんな狭い空間で、物音にも注意し、存在がばれたらどうなるかわからない状況で2年間も暮らすなんで、自分には想像もできない苦しさだと感じました。
アンネの家を訪問したのは2016年です。2020年になり、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言の中での生活を経験した今になって改めて思い返すと、アンネたちの生活の苦しさを、より現実的に想像できるような気がします。不要不急の外出を控えざるを得なくなり、外に出るのは近所のスーパーに買い物に行く程度。旅行にも外食にも行けない。窒息しそうでした。
それでも、私は少なくとも自由に公園に散歩に行ったりできたし、好きなものを食べることができれば、本や映画やマンガを思い切り楽しむこともできました。それでも、非常に苦しかったです。新型コロナウィルスでの生活を経験した今、改めて訪れたい場所です。
参考
まとめ
世界は有名観光地のようにキラキラした場所だけではないですし、怖いだけの場所でもありません。当然のことですが、そんなことも感じていただきたく、あえて最後にアンネの家をご紹介しました。
この記事を読んで、皆さんが少しでも何らかの形で海外に関心を持ってくだされば嬉しいです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
今日がよい一日となりますように。
コメント